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Posted by だてBLOG運営事務局 at

2015年10月11日

尽くす、最後まで

~人に尽くせば人生が変わる~

愛する人に尽くせば愛が深まる

互いが尽くせば永遠へと変わる

人は一人じゃ生きれない

全ては尽くすことから始まる



  


Posted by 阿部由明 at 23:05Comments(0)心の学校

2013年05月15日

環境の中に人は生きている

人生の苦難をハードルと捉え生きる事が出来るのは自信からではない

人生が喜びで満ち溢れているから心に余裕があり、支えてくれている人が周りにいるから超えられると感じるんだ

つまり心の置き方だけではなく今の環境が自分の助けとなっている


そう、支えられているんだ。



人生は非常に難しい

この環境を作る事がいかに大変なことか。


作ろうと思いすぐに作れるものではない、そこに必要なのは互いを知り、信頼をステップさせること、そう、思い遣りの階段だ。


常に互いが同じ段にいるとは限らない

ちょっとした出来事が、互いの距離を気付かせる

私はここまで登ってきたのに、何故、あなたはまだそこなの?と思う事もあるだろう

人の多くは「こんなに想っていたのに」「こんに信頼し尽くしたのに」と思うこともある
また、人の多くは受けた恩恵よりも自らが行った奉仕を大きく感じるもの

でもね、あなたがその人に対しそう思う気持ちを持たせ、行動させたのは、その人であるとういう事。

あなたが想いをかけたい、奉仕したいと思える人であったということ。

何より、受ける以上の愛情より多くの愛情と信頼を自分自身が持っていなければ人は深い仲にはなれないということ。


こんな人だと思わなかったと感じるよりも、この人のいいところはここだった。と思えなければ出逢いを宝にすることは出来ず、この人の苦手なところは私には出来るかなと思える余裕が人を新たな出逢いへと導くのだと僕は思う。


※久しぶりの投稿、読んでくれてありがとう。

  


Posted by 阿部由明 at 21:04Comments(0)心の学校

2013年03月19日

蔓(つる)

最近の若い子はキレやすい。小さな事でもキレる。

キレる=怒るという事は許容範囲を超えるという事だと思う。
何故、こんなに許容範囲が狭いのか、心にゆとりの無い時代ではないと思う。

むしろ、戦後の方がゆとりが無いはずだろう。

そう考えると、ゆとりではなく我慢・忍耐という事になる。
また、集団意識よりも個人的感情が優先されているからではないかと思う。

我慢できず感情が先走る若者。

添え木の無い蔓(つる)が周囲を巻き込みながら楽な方向に伸びる様に

最近の若者も自分の意見に同調しない者や気に障る者は避け楽な方(同調する方)にのびて行く

そこで起きるのは同類の集結。

すると同じ価値観であるが故に、正しくない事であっても周囲の意見(自分に同調)した答えが正しい答えであると置き換えられてしまう。


同類の集結社会が成り立ってしまっている現実がそこにある。


言わば、我儘っ子独自の社会。


まさに、「水は方円の器に随う」だと感じる。


我慢できない(キレやすい)若者を添え木の無い蔓と例えたが、そんな蔓の種をまいた者の責任が一番大きい。

子は親の鏡とも言うが、親の教育や愛情で子供の人生は大きく変わる。

その子の今の現実を作ったのは言うまでも無く親。


ズレた教育がズレた子を作り、それが当たり前の様になりズレたCM(某スーパー)までも流れる現代、「硬い」「厳しい」「昔の考え」と言われても、そろそろ正す時なのではないかと僕は思う。


  


Posted by 阿部由明 at 19:20Comments(0)心の学校

2012年06月08日

探し方

同じ問題の答えを探すにも

悩みと捉え探すのと

試練と捉え探すのでは

歩んだ距離、越えた壁の高さに大きな違いが出る

得たものは直感という名のDNAに刻まれ新たな問題に直面した際に回避・解決へと通じる道しるべとなる。


なんて感じた週末の午後

仕事を早く切り上げ岩盤浴でも行ってきます(^_^ゞ照


  


Posted by 阿部由明 at 18:19Comments(0)心の学校

2012年04月17日

あなたには見えますか

こんな事に理屈はいらない


たまには胸に手を当てて感じてごらん



飾り言葉じゃなく本当に胸に手を当てるんだ



生きてるって感じるかい?


人類が最も身近で最も忘れている事


本質は心の目でしか見ることはできない


感じろ


もっと心で



  


Posted by 阿部由明 at 00:09Comments(0)心の学校

2012年04月16日

達成

知人が言った。

なかなか思い通りにはいかないんだよね


理想通りにはいかなくてさ。


結果がなかなかついて来ない・・・。


俺も同じだって・・、なかなか成果を出すのは難しい。


スポーツと同じでイメージトレーニング(想定準備)も必要だろうけど
やはり志(決意)ではないかと思う。


人はぶれ易く自分に甘い生き物だよね。


時間だけが先に流れる感覚を味わう時がある


誰に負けているとかじゃなく


自分自身に負けている感が朝から晩までどこにいても
何をしていても感じる時があるよ。



そんな時はもう一度、決意を遠くから眺めてみるんだ


夕日を眺めるみたいにね


ギラギラと輝いて見えた時


気付けば自然につま先が地面を蹴っているんだよ



指先が風を切る様に目標へ向い


意識は更に、前へ前へ進んでゆく



そうさ、目標を決めたら一心不乱に駆けだせばいい


どんな大きな波(苦難)でも超えられるはずさ


そのオール(決意)さえあれば


必ず目標に到達できるのさ。





※この話には落ちがあり、「僕はまだまだ未熟者、これホント理想だね(笑)といい乾杯しました。(笑)  


Posted by 阿部由明 at 23:38Comments(2)心の学校

2012年04月16日

その先にあるもの

ある人が言った

「自分にとって信用おける人って、ホント何人いるんだろう?
こんな思いをするんだったら、いっそ信用しなければいいのに。信用しなければこんな思いもすることないのに。」


あなたは信用できる人、何人いますか?


幼馴染や親兄弟が最も信頼できる人と考える人は多い。
そもそも何故、幼馴染や親兄弟は信頼できるのか?


簡単だよね、幼少期を共にした友はまるで兄弟同然、親兄弟は血の繋がった間柄、
極端に言えば自分の一部の様なものだから、信用というサークルの中心にいる自分自身から近い順番に信用・信頼の根は伸びている。


信用とは何なのか、信用へ変わる要素、定義とは何なのか。
深く掘り下げて考えた場合、論文の様な長文で難しい表現となってしまうだろうね。


大人の答えってそんなもんだよ。
過去の経験から言える言葉で書きなぐった文字(意味)でしかないんだよ。


何故なら子供は信用について深く考え人を選び友達を作るだろうか?
あなたは幼いころ、友達をつくる際に相手の性格や家柄など気にして遊んだ(友達になった)だろうか?


子供は単純に目の前にあるものに共感することにより友になる。
その共感は50や70なんかじゃなく100から始まる。


大人はマイナス(もしくは0)から始まり100へ向かい”互いに歩み寄る”。


大人になるにつれ、人はいつからか逆の歩みをしているんだよね。


結果的に信用できる人とだけ出逢い付き合いたい。


そう思うでしょう?
傷つきたくないしね。


でもね、「出逢い」って全てに意味があると思うんだよね。
残念な出逢いと思っても、その出逢の経験で何かが変わり、新たな自分に出逢えたり新たなチャンスに恵まれたりね。


僕も心に突き刺さるような経験をしたことが何度もあるんですよ。
冷たい氷の槍が心臓を貫く様な思いをね。。


でもね、そのお陰でゆっくりと沈みゆく太陽や道端に咲く花の美しさに気付けたと感じる


また、人の痛みや想いについて深く考える事ができた。


それは全て、信用が産んだ宝物なんですよね。


人を信じるという事は時として己(心)を犠牲にする事もあるが、それ以上に心を豊かにする為の試練なのかもしれないね。。



  


Posted by 阿部由明 at 21:54Comments(0)心の学校

2012年04月13日

傷 Kizu

人は皆、誰かを傷つけ生きている


生まれてきて一度も他人を傷つけた事がないなんて人はいない


多かれ少なかれ人を傷つけて生きてきた


無意識の中で人を傷つけている場合もある


主張が正しいと判断すれば多少の傷つきは正当と感じる人もいる



大抵、人は自分が傷ついた事しか記憶には残さない


他人を傷つけた数より自分が傷ついた数の方が上回っていると考えがちだ


しかし、現実は違う


冷静に過去を振り返り感じる事はないだろうか・・。


そして今、周りを見渡してみたらどうだろう


地球上、約60億の人間の中であなたは何番目にいい人(自分の理想)であると感じますか?


一つ言えるのは、あなたが何番かではなく、周囲があなたを何番かと感じているということでないでしょうか。


常に自分がではなく”周囲”を中心と考え歩むことができたなら


きっとその先には穏やかな時間(心から幸を感じ傷つく事を決して恐れない心)が存在すると私は思うのです。



  


Posted by 阿部由明 at 00:02Comments(0)心の学校

2011年11月22日

余命★宣告

自分の余命を真剣に考えた事はありますか?

もし余命がわかったら、あなたならばどんな時間を過ごしますか?

余命を知った時にあなたは何を思い何を感じますか?


僕は35歳、余命が70歳だとしたら、残り35年。

35年で何ができるだろうか?

また、今まで生きてきた35年はどんな人生だっただろうか



人一倍満足いく人生だったろうか

人一倍愛されただろうか



命尽きる時

安らかな顔で旅立つ事が出来るかどうかは

日頃の姿が左右するのだと私は思うのです。





カテゴリーは心の学校でした。
今日も来てくれてありがとう。







  


Posted by 阿部由明 at 22:00Comments(0)心の学校

2011年11月17日

点-TEN

人は皆、理想を描く。

理想をイメージし理想に近付こうとする

しかし、目的までのプロセスやそこに至るまでに起こりうる最悪の出来事まではなかなか想定はしない。

そう、殆どの人間は「理想」が「空想」に近い状態で描いている事が多い。

では理想や空想を現実に出来る人はどんなプロセスを経て実現しているのだろうか。

僕が思うに共通点は一つ

イメージや努力を必ず形にしている

小さな小さな事でも必ず形にしている。

そう、まるで点を刻むように

日々努力し意識という名の点を刻む

いつの日かその点は
一筋の線となり

目的地までの道筋になるだろう

全ては小さな小さな点から始まるのだ。


カテゴリーは心の学校でした。
今日も来てくれてありがとう。





※人の出逢いや物事は「点が繋がり線となり、線が繋がり面となる」と私は思うのです。
  


Posted by 阿部由明 at 19:25Comments(0)心の学校

2011年11月08日

地震の予兆

東日本大震災の写真集を購入したからだろうか。

また津波の夢を見た。

それも巨大津波。

完全に逃げることができない、もう、俺も駄目だ・・ほぼ諦めていたが必死に逃げた。

周囲は泣き叫び恐怖のあまり動けなくなっている人もいた。

おい!早く逃げろ!大丈夫だ急げ!と言いながら丘を目指し必死で走った。

振り返ると住宅が飲み込まれるときに起きる土煙が見えた。

もう、そこまできている!

そこで目が覚めた。


311の後半年近くこの様な夢をほぼ毎晩見ていた。
毎日、深夜に目が覚めたりと眠れない日が続いたがまた半年続くかも・・・。

あの日から今も見ている人もいるだろう。。。

あの津波で「永遠に続くと思っていた田舎の風景」はもう二度と見ることができない。

人の命と共に思い出も奪っていったのだあの津波は・・・・。


人は永遠ではない、だからこそ、周囲にいる人も含め優しさをもって接していかなければならないと私は思うのです。











カテゴリーは心の学校でした。
今日も来てくれてありがとう。  


Posted by 阿部由明 at 02:13Comments(0)心の学校

2011年11月06日

もう限界です!

知り合いがこんな事を言った。

なかなか結果がついて来ないんだよね。頑張ってはいるんだけどね。


頑張ってるってことは必ず成果はでるよ。大丈夫さ、と私は言った。


頑張っていると本人が言うんだから成果は出る。
でもね、正直に言えばただ頑張っているだけでは成果はでない。

成果を出す為に必要なのはいくつかあると思います。

ただ一つ、どんな業種でも共通するのは

限界からの一歩を常に歩む

ということではないでしょうか。

そしてもう一つ

常に敵は己にありということ。

自分に負けなければ必ず目標に到達すると思うのです。


カテゴリーは心の学校でした。
今日も読んでくれてありがとう。







  


Posted by 阿部由明 at 01:33Comments(0)心の学校

2011年11月05日

休日はやはり!!!(^-^*)/(^-^*)/(^-^*)/

皆さんは休日、どんな過ごし方をしていますか?

自宅でのんびり?それとも遠出でもして日常とは異なる高揚感でも味わいます?


日常のストレスを休日に解消するために休日があると考える人は殆どですよね。
確かに日々、仕事や育児など様々な負担が心身共に覆いかぶさっているかもしれません。

でも、考えようによっては逆の捉え方もできると思います。。

例えば、日々の生活において負担と感じていたことも自分の心の持ちようによっては、その負担がいくらか軽減される。
もし、これが半分以上が軽減されたらどうだろうか?
週の半分は休みに感じるかもしれませんよね。

では、根本的に何故、負担と考えるのかface13
(あくまでも心の疲れの場合)

答えは簡単、思い通りに行かないから。

全て100%思い通り、理想通りに行ったら疲れはしないと思います。

しかし、これがなかなか上手くいかないface07(笑)
だから疲れるんですよね。

ここで私が言いたいのは、休日を充実させるには休日に何をするかではなく、平日(日常)をいかに理想に近づけることができるか、それが出来れば休日を心から満喫できると思うのです。



明日からまた仕事という前夜に「あ~また、明日から仕事かぁ・・」face07と思い週が始り心から重い感じで週を終える生活よりは、活き活きと週を迎え充実した週を終える、休日は更に来週を充実させるためにモチベーションを上げるための自分へのご褒美的な過ごし方をする。


それは高価な飲食や買い物ではなくとも、自身の心が豊かになる過ごし方ができれば「素晴らしい休日の過ごし方」をしたのだと私は思うのです。








今日も見に来てくれてありがとうございます。
  


Posted by 阿部由明 at 07:48Comments(0)心の学校

2011年10月28日

落し物?

最近人に会うと最近どう?

ん~微妙かなぁ~

なんかいい事ないかな。。という声を聞く。


人は日々の中で何か日常と異なる事や思いもよらない嬉しいことがあると特別な日とか特別な出来事であると感じるのかもしれない。

でもね。

楽しいことや嬉しいことって実は日常の中にそっと存在するのだと思う。

いつも通る通勤路で花が咲いたとか

昨日より夕日が綺麗に見えたとか

些細なことかもしれないけれど幸せとは日常に沢山あるものだと私は思うのです。


もしも、あなたが明日でこの世を去るとしたら考え方や視野が今ままでとは事なりはしませんか?

様々なことに感謝し、小さな幸せに感動するかもしれませんよ。


本日のお題「落し物」

見つかりましたかね?。。


カテゴリーは心の学校でした。
今日も読んでくれてありがとう。。。

  


Posted by 阿部由明 at 22:30Comments(0)心の学校

2011年10月24日

クレーム!?

四時過ぎに仕事を終えました。


買い物をして食事。


疲れているせいかなんかさっぱりした物がいいな。

ざるそばを頼む。


15分後。


ざるそばとご対面。


そばが数本飛び出し一部は器の外からおぼんにダイブ。




相棒は言った。

これみてクレームつける人もいるだろうね。


考え方変えたら勢いよく盛ってくれたのかなって思うしね。


だよな、そう考えたらこぼしてるのはお客の方かもな。


なんで?


広い心の器だよ。


く、くだらん。


さぁ、食べよぉ。


なんて会話する土曜の夕暮れ。

これぞマイタイムマイライフではないかな。



  


Posted by 阿部由明 at 17:00Comments(0)心の学校

2011年10月23日

友が亡くなり

先日、父の友人が仕事中に事故で亡くなった

父は次の日、亡くなった方の元(北海道)へ向かったのだ

話を聞くと、葬式代は全て会社が負担したという

通常、本人の過失により事故を起こせば会社側は保障などしない

そう、この事故は亡くなった方が強制停止ボタンを保持しながら行う作業なのにも関わらず、保持せずに起こした事故。

しかし、長年、貢献し続けた社員のために、会社はその家庭や経済状況を考え全額負担したのだという。

葬式には100名を超える人が訪れたと言う

この話を聞いて僕が思ったことは、僕が亡くなったら何人が葬式にきてくれるだろうか・・・

支援の仕事やITの仕事、ラジオ・テレビ、雑誌と多くの方(数千)の方々と出会い、交流はあるが、こういう時に私のことを想い駆けつけてくれる人は何人いるのであろうかと考えた

また、小さいながらも僕も同じ経営者、もし、社員が亡くなったら僕も同じ行動が取れただろうか

この会社の社長のとった行動からこの社長の社員への想いや感謝、そして人としてのあり方、お金と言うものの意味を深く考えた

人は必ずいつか死ぬ

死とは人の一生で最も己を評価する時期なのかもしれない

三途の川で照らし見えた顔が、今まで己の行った言動から作り上げられた顔ではないかとおもう




*****************************************

人は肉体と心の2つから出来ている
肉体はこの次元で認識できるが心の場所は誰にもわからない

また、心へ通じる道を歩むこともできない

しかし、天が下さった奇跡(音)だけが唯一、心へ通じる道を知っている

言葉とは心から心へ運ぶ唯一の音魂であると僕は思う

***********************************



  


Posted by 阿部由明 at 20:32Comments(0)心の学校

2011年10月23日

人生という旅

人生には最高と言える時がある


幼少の想い出であったり若き頃の無茶した恋であったりヒジネスであったり人によって様々ではあるが眼を閉じあの時の感動、喜びを思い出す時があるだろう。

人生とはなんなのか考える時がある、また、成功とはなんなのか答えを探る時がある。


ある人が言った。


人の人生が終わる時、一度だけ戻りたい場所に戻る事ができるらしい。


人生というのはもしかしたら『戻りたい場所を探す旅』つまり、最高の一時(瞬間)をつくる旅なのかもしれない。

昇天するその時、僕は何処に戻りたいと思うのだろうか。


今わかることは『毎日が戻りたい場所』と言える人生(旅路)でなければならないということである。



  


Posted by 阿部由明 at 20:00Comments(0)心の学校

2011年10月23日

いつもの場所で




物凄く充実した一日であり、温かい一日であった。

夕方、部長の佐藤とコンピューターの専門学校へ行く道中の話である。

いつも声が大きく笑顔の佐藤。

うちの会社のムードメーカーとも言える存在である。

そんな佐藤が運転する車の助手席に座った。

走り出して5分ぐらいしてから佐藤が言った。

いやぁ~この「かりゆし」ね。娘からの父の日のプレゼントなんですよ。(笑)

この名詞ケースもプレゼントで。。。と、胸元から出して見せた。

「満面の笑み」である。(笑)


佐藤の家では家の間取りに注意しているという。

それは、いつも子供と話す環境を大切にし自らが子供の状態を察知できる様にするためだからだ。

リビングは家族の団らんの場であり、家族の絆を深める場だという。

そう考えるとどうだろうか?

現代の家族、団らん、リビングの意味。

大型テレビに必要以上の食卓セット。

見栄えばかり気にする人も世の中いるのではないだろうか?

昔は当たり前であった「会話」=「道徳」はこのリビングから生まれたのではないだろうか?

家具屋のリビングセットを見る時にいつも思う時がある。

このリビングは家族が会話しやすい様にできているだろうか?

TVが見やすい、部屋が広く見えるという事の何倍も大切ではないかと思う。

これが佐藤の哲学であり、私の人生の先輩としての意見である。


リビングルーム

それは心を育む云わばオアシスと言っても過言ではない。


オアシスで育まれた愛情はいつの日か眩いばかりの光を放ち花開くであろう。


心の植木鉢ともいえるそのリビングを娘が後する時、父親は涙するだろう。


リビングに行けば娘の声が聞こえてくる気がすると父は一人座り込む。


そんな愛あるリビングに僕もしたいと思う。



  


Posted by 阿部由明 at 18:00Comments(0)心の学校

2011年10月23日

徹夜までして!!



昨日は何故か眠れず結局、朝まで起きていました。(汗)

今後の業務や流れ、社長として考えなければならない事などを考え「ゆっくり」時計の音を聞いていました。

カッチン・・・コッチンと聞こえてくる時計の呼吸。

急かされるような時間を感じながらも・・・・心の何処かで落ち着いた時間を感じる一時です。。。

現在時刻、6:46分

通勤される方もいらっしゃるでしょうね。。。

今からまさに満員電車と自宅を後にする方もいらっしゃるでしょう。。

本日の朝礼では何を言おうかなと悩んでいる方もいるのかな・・・(笑)

沖縄へ本日移住する方もいらっしゃるでしょう。。。

それとは逆に本土へ帰る方もいるでしょうね。。。

共通するのは皆、同じ時間を生きているという事。

同じ時間を生きていている。

そう、同じ時を共にしている仲間ですよ。。。

楽しいこと、悲しいこと

人生様々ですよね。。。
どんな立場でもどんな時でも、優しさは大切にしていきたい。

ムカッときても、その相手には親がいて、そこに愛情がある様に誰にでも大きく深呼吸して接したいですよね。。

歳をとり丸くなるというのは心が成長するのではなく歳をとりその立場になる事により見えなかったものが見えてくるのではと私は思います。。

これは社会でも言えることかも知れません。

上司の一言。部下の一言。

立場で見え隠れするものだと思います。。

完璧な人間なんて存在しない。

人間の視野はその半分程度。

しかし、心の持ち様で360度の視野を持つこともできると私は思う。

360度の心がけと180度の思いやりが痛んだ社会を癒すのではないでしょうか・・・・。




  


Posted by 阿部由明 at 13:00Comments(0)心の学校

2011年10月23日

限られた時間に・・・



人生は一度きり。

皆が知っていることだが

日々に追われその大切さも薄れていく。。

健康であれば病の辛さや健康の素晴らしさも薄れていく。

人生の大切さや心の大切さも薄れていく。


私が人生において頭にきても怒らない様にしているのは単に疲れるからということではないんだよ。

自分の心が汚れるからなんだ。

広い心で許せる強さを持ちたいと考える

また、人生は一度きりで限られた時間しかこの世にいれないから。


僕の日常もみんなと同じく「残念」なことはよくある。

でもね。

そういう時は空を見上げ流れる雲を見たりするんだよ。


自然に優しい心になり怒るより許すが先にくるんだよね。


怒れば心が汚れ嫌なことも考える。


人生は一度きり

1秒でも笑ってたいじゃん。

だったら相手を許すことが一番なんだよね。

悲しいことがあったら「そっ」と、自分から引いてみたらいいさ。

それなら誰も傷つかないでしょ。


限られた人生。


この世の全てが限られた時間の中、生きている。


草も木も花も動物も皆、限られた時間の中で生きている。


花壇に咲き乱れる花も一輪一輪が一つの命。


限られた人生。


限られた時間。


限られた人に出会えた事に感謝する。



人生って本当に素晴らしいよね。。



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人生とは天国への階段を歩むことなのかもしれないね。
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Posted by 阿部由明 at 12:00Comments(0)心の学校

2011年10月23日

顔のない菩薩



久しぶりに移住に関してのお話をしましょうか。

沖縄移住ブーム

前回は2007年1月ぐらい・・・石垣島が目立ちましたが同時に沖縄本島も移住者が多かったです。

移住者の層には大きく分けると3つの層が存在する。

1.家族がいて安易な気持ちで移住ができないと考え、計画的に移住する方。

2.計画的とは言えないがすべてを無計画では職につけないと今できることだけを行い移住する方。

3.行けばなんとかなると何も計画せずに移住する方。

この様に3つのパターンが存在する。

沖縄への移住以外でも同じことは言える。

移り住むにあたり何が問題となるのか、また、なりうるのかを考えてみる。

人の生活は「衣食住」、わかりやくす言えば「仕事」があれば住むところも確保できる。

キーワードは仕事ということになる。

単に住むだけならですよ。。

都に変えるには「馴染む」ということが必要になる。

では馴染むとは何なのか?

「郷に入ったら郷に従う」

これは当たり前の話であってまさに移住しようとする人には「単語」にしか過ぎない。

つまり聞いても心に届かないのです。

結果として多くの移住者が帰っているのだと思います。

職が見つからない。馴染めない。

果たしてこれは移住する前に想定できなかったことなのだろうか・・・。

もしも、そうなってしまったら・・・。

選択肢は3つ。

1.誰でもいいから藁をもすがる想いで助けを請う。

2.自力でひたすら頭を下げ就職活動を行う・地域の人と積極的に話し自分を知ってもらう。

3.諦めて故郷に帰る。

この3つの選択肢。

3人が存在した場合にあなたにはどの様に映るだろうか?

この様なパターンを日々、私は見続けている。。。

3人に共通するのは「こんなはずじゃなかった」という言葉。

インターネットが普及し「人は眼と耳」を失ったと私は思う。

ネットは単なるツールにしかすぎない。


本質は常にリアルな場所に存在する


もっと奥深く、もっと温もりあるものではないだろうかと僕は思う。


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人類が生み出した「文字」

はじき出された文字は心の衣を脱がせ人の真意を表わす

人は皆、「顔のない菩薩」といえよう

人は細く短い糸を一生かけて手繰り

その答えを見つけようとする

これが「人生」というものではないだろうか

終着点にある泉に映る己の顔が

時をかけ作り上げた菩薩の顔(心)ではないかと僕は思う。

********************************
僕は文字を読むときに「状況」「感情」「優しさ」を見るようにしている。
優しさと素直さをわすれない様にいきていきたい。
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Posted by 阿部由明 at 07:00Comments(2)心の学校

2011年10月23日

得する話



得する話。

ご存知ですか?

私、ちょっとだけ、ちょっとだけ得する話を知っています。。。


私は毎日、多くの方と出会い話します。北は北海道、南は八重山、時には海外の方とも話します。


1年で何百人、いや、相談を含めると何千人かもしれない。

良い人もいれば、そうではない人とも出会うこともある。

時にはそんな人と連続で会うこともある。

多くの人と出会うという事は多くの影響を受けやすく、ぶれそうになるかもしれない。ということ。

僕は僕なりの楽園を築き僕なりのネットワークを構築している。

僕のとっておきの得する話、5話。

①人の笑顔をいつもよりも1秒長くみつめる様にしている。

これは感覚的な喜びの伝達ではなく、優しさの記憶として留め、その優しさを積み木として積むためである。

②ありがとうという言葉はいつも自分から、そしてお返しのありがとうも最後に1回多く自分から。

ありがとうという単語ではなくありがとうに「心」を乗せて語り、最後に再度、思いを込めてありがとうと語る。初めのありがとうはお礼の言葉、最後のありがとうは感謝の言葉。ありがとうは2回言って初めて成り立つ言葉。

③人の痛みを知らない人と出会ったら、まずは受け入れる様にしている。

いやな事や意地悪な発言、行動をする人がいたら、否定したら逆効果。まずは聞きましょう。そして納得する答えを提示しましょう。何故なら「後から後悔しない」選択が一番だから。はじめは向き合い次は上を見上げた方が勝ち。もっと先を見て考えると、人生、成功した数ではなく失敗した数が少ない方が成功と言える。つまり、後悔しない人生を歩むということ。神の前に立たされた時、眼をそらさずに立つ事を考える。。。


④いつも自分なりだけど全力で「楽しんでいる」。
悔いのない人生は悔いのない一日からできている。悔いのない一日は悔いのない1分からできている。
悔いのない1分は1秒の全力からできている。常に全力で生きる。 全力=今の自分ができる程度のこと。楽しみが10ではない努力が10でもない、楽しみも努力も苦労も笑顔も涙もすべて合わさって10だと思う。つまり、僕は僕でしかなく、あなたもあなたでしかない。そして、あなたに勝てる人もいないし、あなたより劣っている人もいない。何故なら、同じ人間が存在しない限り、一人一人が特別な存在だからです。

⑤忘れない努力をしている。

上記のこともそう、出会う方々から吸収し続けている様々なことを忘れないようにしている。
これは良いことも悪いこともすべて忘れないようにしている。私にとっては全てが大切な思い出。
何故なら、人生は一度きりで私もいつか亡くなるからです。今年の12月で32歳。50年もすれば、そろそろでしょう。たった50年しかない、このブログを書いている今も残りの時間が過ぎ去っていく。


限られた時間の中で限られた人に出会えたことに感謝。

これが私の得する話5話でした。

本当は得するかどうかわかりません。

こんなお題なら、、、クリックしてくれるかなと。。。つけただけ。

たかがブログの数字。

これが本音ですがね。

よろしかったらこれからも見てください。よろしくお願いいたします。。


  


Posted by 阿部由明 at 00:00Comments(0)心の学校

2011年10月22日

生き様



生き様

自分の生き様を考えたことはありますか?

そもそも「生き様」とは何なのか?様々な定義があると思いますがここでは私が思う生き様について語りたいと思います。

私が思う「生き様」、人の一生、すなわちこの世に生を受けて誕生し死に到達するまでに己の描いた夢や希望、感謝や感動をいかに己の脳に刻み周囲の脳に自分を刻めるかではないかと思う。

つまり、生き様とは自分の納得いく生き方ができ、尚且つ周囲の人に愛される生き方、「人」であれたかというのが重要ではないだろうか。

世の中、地位や名誉、金や財産という考え方の人もいると思うが、これらは僕にとって後から付いてくるもので最も価値の低い物に感じる。

僕的に後からついてきて価値のあるものは、「人脈」「信頼」「自信」「感謝」「後悔」この5つが価値あるものではないかと思う。

人生において全てが納得いくことばかりではない、むしろ、納得いかない出来事の方が多いといえる。
これは単純に納得行かない出来事ということではなく、最も理想的な状態にならない。と捉えるべきだろう。

最も理想的な形に近い状態にするにはどうすればいいのか、このことを生きていく中で模索し、ぶれる事のない軸を中心に独自の円を描いていかなければならないと思う。

軸がぶれれば真円ではなくりキャンパスは真っ黒に染まっていくだろう。


生き様を描くためには軸が最も重要ではないだろか。


人脈をつくる軸、信頼を得る軸、自信を得る軸、感謝を得る軸、後悔を受け止める軸

5つの軸から描かれる「点と線」は人の「生き様」を描き己の心の顔を作り上げるのだと思う。

憎めない人というのはこの軸が不動なのだと思う。

顔に滲み出るほどの「幸」を与え、与えられている者にしか得る事のできないものかもしれないね。


人は皆、菩薩。

様々な顔をもった菩薩。

必ず誰かから愛され生きている

誰かを幸せにして生きている


人という菩薩は完璧な菩薩であると言える。


また、人が創造した菩薩は答えなき菩薩と言える

答え無き菩薩とは心が存在しない菩薩である。

心が存在しない菩薩とは「その菩薩を拝した者の心」によって、その(菩薩の)表情が異なってくることを示す。


怒りの者が菩薩を拝すれば「怒りの菩薩」に映り、心穏やかな者が拝すれば「円満な菩薩に映る」

菩薩とは人の心を映す鏡と言える


「生き様」

一言でいえば、より多くを得ることではなく、「愛される菩薩であり続けること」なのかもしれないね。




  


Posted by 阿部由明 at 22:00Comments(0)心の学校

2011年10月22日

どうなる?咲くのか?



人は皆、小さな小さな種なんだ


小さな小さな種は温もりという大地に包まれている


優しさという太陽に照らされ愛情という水が注がれる



いつの日か種は小さな芽つける


芽は葉を持ち一つ背伸びし始める


背伸びした分だけ今までとは違った景色が見えてくる


背伸びした分だけ今までにはない厳しさも実感する
若葉から滴る朝露は若気のごとく大地へ向かう



種は芽を出し葉を伸ばし大きなつぼみを大切に抱き始める


つぼみを抱き始めてから過ぎゆく時間は「時には長くも感じ、時には短くも感じる」
つぼみが次第に大きくになるにつれてその心は使命へと変わる



厳しい雨の日も風の日も、根は茎を支え茎はつぼみを支える、葉は優しさに照らされ愛情を根へ送る
愛情を沢山吸った根は更につぼみに愛情を送る。


愛情をいっぱいに満たした時、遂につぼみは花開く


その花は今まで見た事もない程の大きく美しい花びらを開花する



花は茎に支えられ茎は根に支えられ根は大地に支えられている



人は皆、小さな小さな種なんだ



誰かに育てられ誰かに支えられて初めて一つの「華」を咲かすことができる。


華を咲かせたければ、まずは誰かを支えることから始めなければ己の華(独自の華)を咲かすことはできないんだね。




  


Posted by 阿部由明 at 21:00Comments(0)心の学校

2011年10月22日

どう思います?



仕事やプライベートで「そんななずじゃないのに、そういう意味じゃないのに」なんてことから心無い言葉を言われたり社内で険悪なムードになってりすることってありますよね。

「心無い言葉」


「本当は心に無い言葉」なんだと思います。


人は皆、心ある言葉を持って生きていると僕は思う。


心無い言葉は心ある言葉をちょっと忘れちゃって出てきただけの言葉ではないかな。


例えば話の途中で心無い言葉を言われても「本当はいい人なんだ。これって誤解かな?」
自分が冷静になって心で「心」という字をゆっくり書いてから話そう。。そんなゆとりが現代には必要ではないかと思う。互いに投げ合うのではなく、問いかける様なスタイルが大切ではないだろうか。


心。


3つの涙を一つの器で必死にすくう様にも見える。


相手を受け止める気持ち(思いやりを胸に持つ意味)を表している字なのかもしれないね。




  


Posted by 阿部由明 at 20:00Comments(0)心の学校

2011年10月22日

1秒だ!1秒!



一日が同じリズムに感じていませんか?


朝起きて出社し帰宅して夢の中、また朝起きて出社する。


時間の連続で明日が出来るとでも?


いいや。明日は連続ではない。
時間と言う空間にあるのは今、この瞬間だけ。


一日は決して同じリズムではない。


もし、同じリズムに感じるならば、それはあなたが「時代と言うリズム」の中で生きている証拠。



大空の元、大きく手を広げ深く深呼吸してみてください。
その瞬間から「あなたのリズム」に変わるはず。



昨日とは違う角度で今日を見つめる。
毎日が新たな一日の始まりに出来るかどうかは自分次第なんだね。



  


Posted by 阿部由明 at 19:00Comments(0)心の学校

2011年10月22日

見えたか?俺。



早朝4時、いつもより早く目を覚ましソファーでお茶を飲む


ふぅ~っと深いため息気味の深呼吸をして時間を忘れる


次に気付けば茶碗の底にわずかに残るお茶を静かに眺めていた


さて、一日の始まりだ。


そう心で感じ、重たい腰を上げる。


まだ外は薄暗くカラスの鳴く声だけが遠くから聞こえてくる
街はまだ眠りから覚めてはいない時刻



PCデスクに座りパソコンの電源を入れる


昼間ならよく聞こえないウィンドウズの起動音もこの時間だと少々高めに鳴り響き耳に残る



1時間程、一日のスケジュールや昨日の残りの仕事を片付ける


首や肩に重力を感じ顔をしかめながら体を仰け反る


目を閉じ無心となりその時を待つ


そろそろか・・・・


ゴォーーーーーン



ゴォーーーーーン


その音は重く魂まで届く鐘の音


その鐘の音が脱力しきった心と体を浄化する


鐘の音が鳴り止んでもその余韻は続く


薄れゆく余韻に心が更に余韻を求める


朝日と共にその余韻も薄れ「現実の今日」がやってくる



耳を澄まし心で鐘の音を聞いた時、人の心は波無き大海となる
その心はまるで仏であるかのように合掌する。


静かな心で一日を迎え感謝の気持ちで一日が終わる



そしてまた一晩すれば新しい鐘の音が新しい一日の始まりを知らせてくれるのだ



  


Posted by 阿部由明 at 17:00Comments(0)心の学校

2011年10月22日

時代の産物か?



2000年を過ぎたころから世の中の常識は非常識に変わってきたと感じる。
ささいなことでも大げさに騒ぎ立てたり他人を追い詰める様な発言や行動が目につくようになった。

昭和の時代はビジネスにおいても対価であり対等であったが、最近ではサービスを受ける側が神的存在である様な時代と感じる場面に出くわすことが多々ある。

こんな事を本当に常識と思い発言しているのか?と自分の目を疑ってしまう様な出来事が1年の間に何回起るだろうか。
コンビニ・銀行・スーパーいたるところで目撃する。見ているこっちもドキッとする。


周囲に自分を知る人がいないからこの様な発言や行動をするのか?もしも、親・兄弟・取引先がいても同じことをするのか?

9割は自分を知らない環境であるからこんな発言・行動をしても・・・。という軽い気持ちではないかと感じる。また、相手は他人と考えているのではないだろうか。


この様な人や社会を変える事は非常に難しい。
変える事が無理ならば対策を考えようと東京都では新たな作戦に出た。

以下、YAHOOニュースより引用

学校に対し理不尽な要求をする保護者「モンスターペアレント」が急増している問題で、東京都教育委員会は28日、問題親への対応策を示した手引書「学校問題解決のための手引」を作成したと発表した。今年度中に約7万部を印刷し、都内公立学校の全教職員に配布する。


個人的な意見ですが、正しい事は正しい。正面から決められたルールで決められたやり方に従ってもらう様にハッキリ伝えるのが一番だと思う。
また、共有すべき問題であれば公開するぐらいでなければならないと感じる。

互いが周囲から見える環境で周囲の意見も取り入れながら意見の正統性を見直すことも必要ではないだろうか。

この時点でモンスターならば周囲の目を気にして無理難題は言わなくなるであろう。
また、物事を悪く捉え発言(あおり行為を)する人(保護者)もいなくなると感じる。



  


Posted by 阿部由明 at 15:00Comments(0)心の学校

2011年10月22日

心模様







最近のニュースは強盗・殺人に関するニュースが多くなったと感じる。


アメリカでは28億円の宝くじを当選した男性の遺体の一部が見つかったり、国内では借金末梢のために家電製品販売業を営む社長が殺されたり、東北地方では山形県のパチンコ店の金庫から従業員が1000万円を盗んだりと「金」と「命」の関係を考えさせられる事件が多い。


・景気が悪くなり多くなるニュースは「人から何かを奪ったり奪われたりするニュース」。
・他社他人を評価し甲乙つけるニュース。
・ささいな事でも問題視するニュース。
・悪だくみがばれるニュース。


この4つに該当するニュースが多い。tvYAHOOニュースなんかをみていても各カテゴリーの記事大半がこの様なニュースですね。


テクノロジーとスポーツが割かし暗いニュースが少ないので逆に見る人が多いかもしれません。snail





  


Posted by 阿部由明 at 15:00Comments(0)心の学校

2011年10月22日

所得を公開?



大人になり世帯を持ち始めると多くの人は所得や社会的地位を意識し始める。


特に30歳を過ぎたころからマイホームや会社での役職など具体的な形で見えてくる。


これが同じ年齢であれば「あの人は優秀な人で」とか「財産のある家系で」などあたかも運命かの様に言う人も多い。

これが年下であると「特別な才能なんだね」「運がよかったんだよ」など稀な存在であるかのように言う人もいる。


高所得者になった人やビジネスで成功した人に共通するのは「向上心があり常にライバルは自分であり他人は目標ではなく必達」であるという人が多い。

常に物事(仕事もプライベートも)に対して昨日より明日、明日より明後日の自分が成長しており日々の結果を積み重ねられる人、そして今というこの瞬間を全力で生きるという強い信念をもっている。


また、目標と必達を必ず掲げている。

例えば目標とは己の全ての才を出し切り満足する結果として残す事、必達とは何が何でも達成する目標であり他人の最高域同等であること。


この様に人一倍の努力が必要であり人一倍の忍耐(時には苦難)が必要であると感じる。
この様な強靭な心(人として柔軟な心、苦難から得た答え)をもってこそ物事の本質を見抜く力をもった本当の成功者となれるのだと思う。



  


Posted by 阿部由明 at 13:00Comments(0)心の学校