2013年03月03日

傷だらけの子供たち【最終話 次女の傷】

わずか11歳の少女が、


「わたしはもう生きていたくない!」


と、叫ぶ姿を見て、ふだん波風の少ない私の心はちくりと痛んだ。


私自身は、壮絶な虐待を受けている渦中に、声を上げることも泣くこともできなかったし、声を上げてもムダだと知っていたのでしようともしなかった。
毎朝目が覚めるたびに生きていることに絶望し、少しでも早く、静かに、自分の今の人生が終わる日を夢見て、ただうつむいて何も見ずに、何も感じないまま、人形のように日常を送っていた。


数十年もの間、月が出ていることにすら気付かずに生きてきた。


リサにはまだ、声を上げる力が残っている。
声を上げることさえしなくなってしまってからでは遅いのだ。
どうにかしてリサの母親が、そのことに気付いてくれないだろうか・・?


「こいつは・・・・・上の2人に比べてさんざん甘やかされて育ってきたくせに、問題ばっかり起こす、本当にこいつさえいなかったら・・って家族の皆が思ってるのに」


「こんなやつはもううちの子じゃない!出てけ!死ね!」


リサの母親は、リサやわたし達親子の目の前でそう吐き捨てた。


「死ねばいいんだ!」と、何度も何度も、言った。


あああぁぁ・・・・・こういう親ってなんでこうも皆同じようなリアクションばかりするんだろう・・・・はぁ・・・しらけるなぁ・・・・
普段から罵詈雑言吐かれまくっている様子が目に浮かぶ・・・。




悲しいけれど・・・・私は専門家でもなんでもない。
何もできないのだ。
継続して関っていくことのできる子どもとは繋がりを途切れさせないようにすることができるが、強制する力がない。
出来ることと出来ないことの境界線を持っていないと、私自身が引きずられてしまって、ふだんの生活がままならなくなってしまう。通常の日常生活をいつもどおりに送る、ということが、私には非常に困難なことなのだ。


リサの母親や姉たちは、自己満足のために働き、金銭を与えているということに気付こうともしない、認めたくないのだろう。
リサが本当に求めているのはなんなのか、を考えようともしない。


完璧な母親なんてどこにもいない。
私はきっと、他人だからこそ、リサの目に見えない傷に気付いてしまったのだと思う。傷は様々なかたちで現れるが、まだこういった問題行動を起こすうちは解りやすく、救いがある。


母親だから、身内だから子どものことを理解している、なんてのは単なる幻想で思いあがりでしかないと私は考える。だけど、子どもは自分から産まれてきた「一番近い他人」と考え、解りあうためにぶつかり合ったり、話し合ったり、試行錯誤しながら、「家族」になっていくのではないだろうか?


家庭を知らない私が思うのは、家族は最初から家族なわけではなく、いろいろな必然が重なり合って一緒に暮らすことになった人間達が、家族になろうという努力を怠らなかった者たちだけが、家族というコミュニティを築くことが出来るのではないか?と考える。
生まれたときから抱かれたことのない子どもは、他人に抱きしめられることを嫌がるように、家族になるための努力は、生まれたその日からの積み重ねであって、その家に生まれてきたというだけでは家族にはなれない。


私は、いい人ぶってこのまま終わらせるのか?
今、もっとこの問題を突き詰め、追い詰めないとリサのためにもならないんじゃないか?
数時間の間、ずっと、葛藤していた。


見たこともないくらい悲しい顔をして立ち尽くす次女・・・。


2年半もの間友だち関係だった次女を「うそつき」呼ばわりしてまでも母親にすがりつきたかったリサ・・・。


「お前なんか死んでしまえ!」というリサの母・・・。



きっと正解なんかない。
私は、私が無力で何もできない人間だと認めよう。


それぞれの立場の人間が、数年単位でそれぞれ出来ることをしていかなければ、解決できない問題にブチ当たったとき、やはり今自分が守るべき生活を最優先に選ぶしかできない。




「短期間に同じ家で数回…相当手馴れてるしあまりにもふてぶてし過ぎるな、これはほかでも同じ事やってるはず。それに全く気付かない親もどうかしてるな」


と、ベテランおっさん警察官も冷めた目で見ていた。


リサの母親は、納得できないようだった。
なんでこいつがしたことで、私が非難されなきゃいけないのか!
といった風だった。
救いようがないな・・と感じた。


「リサちゃんのしたことはれっきとした犯罪です。許せません。でも、二度と娘と遊ばせないとかそういうことでなく、根本的な解決を望みます。どうか、正面から向き合って時間をかけて話し合って欲しいと思います」


甘い、私は肝心なところで詰めが甘い!
後悔するんじゃないのか?
しかし、このときはこうしようと決めた。


リサのしたことは許されることではないけれど、この世の中にたったひとりくらいリサの味方をして、リサを抱きしめる大人がいたっていいんじゃないのか?そうでないとあまりにもリサが救われないんじゃないのか?


と、そのとき感じた。


リサの母親は、


「なんであなたは被害者なのに、リサをかばうの?」


と不思議そうに言った。



もう今の時点ではどうしようもないな・・・
数時間のやりとりを少し他人事のように見ていて感じた私は、不思議なイキモノを見るようなリサの母親と姉たちを残して、帰宅することにした。


帰り際に、リサの顔を見たが・・・
私とはもう目を合わせようとはしなかった。
でも、今はそれでいい。


「こうやって居場所のない子供たちの犯罪は増えていくんだ・・」


屋外に向かいながら、警官がつぶやいた。


呆然としている次女の手を握り、靴を履いて外に出た。
エレベーターを降りたところで、次女は激しくしゃくりあげて、声を上げて泣き出した。


「リサ・・・・友だちだったのに・・信じて・・・たのに・・


うわああぁぁぁぁぁ~~~ん」


小さな頃のように、しゃくりあげ、全身で泣き出したのだ。
友だちだと思ってた子からうそつき呼ばわりまでされ、それでもリサは泥棒じゃない!と、最後の最後まで信じていたかった次女の心の中の何かが、壊れてしまった・・。


「そうやね・・辛かったなぁ・・最後まで信じてあげてえらかったよ」


泣きじゃくる次女を思い切り抱きしめた。
次女は、天然のアホでわがままで本当に単純な子どもらしい子どもだ。
それゆえ、友だちを裏切る、などということは思いもよらなかったのだろうと思う。


「○○ちゃん(次女の名)、本当のお友だちはこれから見つかるよ」


警官たちも一生懸命なだめてくれた。


前日も私が帰宅する前までリサは遊びに来ていて、リサが帰った後、次女のお気に入りのポーチ(中身はヘアピンなどが入っていた)がなくなっていたらしい。そのポーチが、さっきリサのリュックをブチまけたときに出てきたのだ。そのことを口に出すこともできないくらい、ショックを負っていたということか・・・・・。
ここまで次女を傷つけたリサに、初めて怒りの気持ちが湧いた。


刃物を使わなくとも人の心をズタズタに傷つけることはできる。
そのことをリサは母親から教わっていなかった。


「今の自分をなんとかしたい!誰か、私を助けて!」


そんなリサの悲鳴が聞こえてきても、あの母親から逃れられない限りリサは変わることは無理だろうと感じた。乗り越えるのは自分の力、だけど、そのためのフォローをする大人がいなくてはいけない。そのための大人は、必ずしも血縁者でなくても良いが、リサをフォローしてくれる大人に出会えるとは限らない・・・。


帰宅したのは深夜1時を過ぎていた。
次女は、しゃくりあげしくしくと、本当に悲しそうになき続け、泣きつかれて私の胸の中で眠ってしまった・・・。抱きしめた次女の小さな肩が、眠りについても、ひくひくと痙攣していたのが悲しかった。




沖縄の子どもたちは、放置されている子どもが多い。
血縁が近くにいるからかもしれないが、少なくとも私の周りの子どもたちは核家族が多く、深夜まで親がいない、という子がたくさんいる。
次女は、そういう友だちを家に連れてきて、ごはんを作って食べさせたりする。私はそれを微笑ましく見ていた。
子どもは1人じゃ育てられない。地域の子どもは、地域の大人たちができる範囲でできることをすればよい。
血縁者ではなくても、自分のことを気に掛けてくれる大人がいる、と子どもが感じることができれば、それが子どもの心の居場所になるのではないか?と思うのだ。


私も沖縄に来て2年くらいは、ひたすら生活を安定させるためという理由をくっつけて、月に残業が80時間以上もあるような職場でガムシャラに働いた。それでも内地にいたときの月収の半分にもならなかった。
ふと気付いたら、子どもたちと何ヶ月も一緒に食事をしていないことに気付き、愕然とした。子供たちが二人揃ってインフルエンザで倒れたとき、私は


「こんな忙しいときに限って、なんで・・・」


と、まず仕事のことを思った。
高熱でうわごとをいうような状態の子どもたちが、


「ママ、仕事行っていいよ。ママがお仕事しなきゃ生きていけないんだもんね。大丈夫だから仕事行っていいよ・・・」


と言った。なにかが間違っているような気がした。
それをはっきり言語化はできないけれど・・・・・
私はその職場を辞めた。
甘ったれるな!社員にしてやろうと思ってたのに!と責められたが、私はお金より子どもたちと過ごす時間を選んだ。その選択は今でも間違ってないと思う。


題:親になるほど難しいことはない


というタイトルの本を随分昔に読んだことがある。
児童虐待関連の本で、フラッシュバックを起こしながらも、ボロボロになるまで何度も何度も読み返した本だった。今更ながらにその通りだなぁと心底感じる。


子どもを産んだから母親、戸籍上親と記載されているから親、だというわけではない。
絆は、作り上げていくものだと子どもを育てて初めてわかる。
家族になるために、家族であり続けるために、努力を一生続けていくことを怠ってはいけない、と強く、思った。

私は私にできる小さなことを続けながら、生きていく。





~あとがき・・・~


この事件は、2006年末~2007年初めのたった1ヵ月半の間に起こった出来事でした。この後、一ヶ月ほど体調を崩し、回復するまでに精神的にも肉体的にも辛い日々を送ることになりました。
が、人は無傷では幸せを手に入れることはできない、ということを私も次女も体感することができる出来事でした。傷つきたくない、怖い、でも、その傷を真正面から見すえなくてはならないときがあると、親として決断し、警察に訴え、リサを追い詰めることにしました。
次女の中では、「もしかしたら・・」かすかな疑念があっても、それを振り払い、見てみぬふりをし、さりげなく遠ざかる・・・そういう方法もあったかもしれませんが、若いうちは傷ついて傷ついて、もう立ち直れない!と思うくらいに傷ついてでも、貪欲に幸せを掴もうとする力をつけさせたい、との思いからこのように判断し、行動しました。
間違っているのかどうかはわかりません。
しかし、後悔はしていません。
次女が心に負った傷は深く、消えることはないだろうと思いますが、忘れてはならないのだと思います。我が身が思い切り傷ついたからこそ、初めて他人の痛みを慮ることができるようになるのだと思うからです。


傷だらけの子供たち【最終話 次女の傷】


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