2012年04月16日

その先にあるもの

ある人が言った

「自分にとって信用おける人って、ホント何人いるんだろう?
こんな思いをするんだったら、いっそ信用しなければいいのに。信用しなければこんな思いもすることないのに。」


あなたは信用できる人、何人いますか?


幼馴染や親兄弟が最も信頼できる人と考える人は多い。
そもそも何故、幼馴染や親兄弟は信頼できるのか?


簡単だよね、幼少期を共にした友はまるで兄弟同然、親兄弟は血の繋がった間柄、
極端に言えば自分の一部の様なものだから、信用というサークルの中心にいる自分自身から近い順番に信用・信頼の根は伸びている。


信用とは何なのか、信用へ変わる要素、定義とは何なのか。
深く掘り下げて考えた場合、論文の様な長文で難しい表現となってしまうだろうね。


大人の答えってそんなもんだよ。
過去の経験から言える言葉で書きなぐった文字(意味)でしかないんだよ。


何故なら子供は信用について深く考え人を選び友達を作るだろうか?
あなたは幼いころ、友達をつくる際に相手の性格や家柄など気にして遊んだ(友達になった)だろうか?


子供は単純に目の前にあるものに共感することにより友になる。
その共感は50や70なんかじゃなく100から始まる。


大人はマイナス(もしくは0)から始まり100へ向かい”互いに歩み寄る”。


大人になるにつれ、人はいつからか逆の歩みをしているんだよね。


結果的に信用できる人とだけ出逢い付き合いたい。


そう思うでしょう?
傷つきたくないしね。


でもね、「出逢い」って全てに意味があると思うんだよね。
残念な出逢いと思っても、その出逢の経験で何かが変わり、新たな自分に出逢えたり新たなチャンスに恵まれたりね。


僕も心に突き刺さるような経験をしたことが何度もあるんですよ。
冷たい氷の槍が心臓を貫く様な思いをね。。


でもね、そのお陰でゆっくりと沈みゆく太陽や道端に咲く花の美しさに気付けたと感じる


また、人の痛みや想いについて深く考える事ができた。


それは全て、信用が産んだ宝物なんですよね。


人を信じるという事は時として己(心)を犠牲にする事もあるが、それ以上に心を豊かにする為の試練なのかもしれないね。。



その先にあるもの


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Posted by 阿部由明 at 21:54│Comments(0)心の学校
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