生き様

阿部由明

2011年10月22日 22:00



生き様

自分の生き様を考えたことはありますか?

そもそも「生き様」とは何なのか?様々な定義があると思いますがここでは私が思う生き様について語りたいと思います。

私が思う「生き様」、人の一生、すなわちこの世に生を受けて誕生し死に到達するまでに己の描いた夢や希望、感謝や感動をいかに己の脳に刻み周囲の脳に自分を刻めるかではないかと思う。

つまり、生き様とは自分の納得いく生き方ができ、尚且つ周囲の人に愛される生き方、「人」であれたかというのが重要ではないだろうか。

世の中、地位や名誉、金や財産という考え方の人もいると思うが、これらは僕にとって後から付いてくるもので最も価値の低い物に感じる。

僕的に後からついてきて価値のあるものは、「人脈」「信頼」「自信」「感謝」「後悔」この5つが価値あるものではないかと思う。

人生において全てが納得いくことばかりではない、むしろ、納得いかない出来事の方が多いといえる。
これは単純に納得行かない出来事ということではなく、最も理想的な状態にならない。と捉えるべきだろう。

最も理想的な形に近い状態にするにはどうすればいいのか、このことを生きていく中で模索し、ぶれる事のない軸を中心に独自の円を描いていかなければならないと思う。

軸がぶれれば真円ではなくりキャンパスは真っ黒に染まっていくだろう。


生き様を描くためには軸が最も重要ではないだろか。


人脈をつくる軸、信頼を得る軸、自信を得る軸、感謝を得る軸、後悔を受け止める軸

5つの軸から描かれる「点と線」は人の「生き様」を描き己の心の顔を作り上げるのだと思う。

憎めない人というのはこの軸が不動なのだと思う。

顔に滲み出るほどの「幸」を与え、与えられている者にしか得る事のできないものかもしれないね。


人は皆、菩薩。

様々な顔をもった菩薩。

必ず誰かから愛され生きている

誰かを幸せにして生きている


人という菩薩は完璧な菩薩であると言える。


また、人が創造した菩薩は答えなき菩薩と言える

答え無き菩薩とは心が存在しない菩薩である。

心が存在しない菩薩とは「その菩薩を拝した者の心」によって、その(菩薩の)表情が異なってくることを示す。


怒りの者が菩薩を拝すれば「怒りの菩薩」に映り、心穏やかな者が拝すれば「円満な菩薩に映る」

菩薩とは人の心を映す鏡と言える


「生き様」

一言でいえば、より多くを得ることではなく、「愛される菩薩であり続けること」なのかもしれないね。





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